北総門(きたそうもん)

寛永8~16年(1631~39)に再建された間口4.12メートルの薬医門。屋根は切妻造り、本瓦葺で、鉄製の飾り金具や鉄帯を取り付けた大きな扉を二枚吊りこんだ重厚な造りです。
かつては成就院の正門として使われていました。
平成22年(2010)に全面的に解体修復工事が行われました。

幕末に散った勤王僧 月照・信海両上人と西郷隆盛公の歌詩碑
北総門を北に出てすぐ真正面に3つの石碑が並んでいます。これは清水寺の塔頭である成就院の第24世住職・月照上人と、実弟であり同25世住職の信海上人の歌碑、西郷隆盛公の弔詞碑です。兄の月照上人は、江戸時代の弾圧「安政の大獄」で命を落とした勤王僧でした。
西郷隆盛公の手引きで九州へ避難したものの、隆盛公と薩摩(鹿児島県)の錦江湾に入水。隆盛公は助けられましたが、上人は非業の死を遂げました。安政5年(1858)11月16日のことです。その翌年には、弟の信海上人も尊皇攘夷祈祷の嫌疑で逮捕されて江戸に護送され、まもなく獄死しました。隆盛公はのちに弔意の漢詩を詠み、その読み下し文が、石碑に刻まれています。
【月照歌】
大君のためにはなにかお(惜)しからん薩摩の迫門(瀬戸)に身は沈むとも
【信海歌】
西の海あずま(東)のそら(空)とか(変)はれどもこころ(心)はおなじ君が代のため
【西郷隆盛公弔歌 (読み下し文)】
相約して淵に投ず、後先無し。豈図(あにはか)らんや波上再生の縁。頭(こうべ)を回らせば十有余年の夢。空しく幽明(ゆうめい)を隔てて墓前に哭(こく)す。