知られざる清水寺

知られざる清水寺

清水寺の舞台裏

錦雲渓の真下から清水の舞台を見上げてみよう。
整然と柱が立ち並び、多くの人々が東山の景色を楽しむ舞台をどっしりと支えている。
急な斜面に立つこの柱を見て「なるほどなぁ」で終わってしまってはもったいない。清水寺に見どころは数多あれど、この舞台の裏側ほど先人の知恵と手仕事の跡を知る場所はないからだ。
舞台床に敷き詰められた桧板はおよそ410枚。これは100畳(約190平方メートル)に相当する広さだ。高さ13メートルの舞台を支えているのは18本の欅の柱だ。大人ひとりでは抱えきれないような太さの柱を渓谷の傾斜にあわせて並べ、その縦横にいくつもの貫と呼ばれる欅の厚板を通して接合している。懸造り(※1)と呼ばれるこの伝統工法は、格子状に組まれた木材同士が支え合い、衝撃を分散することで通常、建築が困難な崖などでも耐震性の高い構造をつくり上げることを可能にしている。

伝統工法が結集した懸造り。その耐震性に注目する建築家も多い。

道理で丈夫なはずだ。いくら舞台上に参詣者が多く集まっても舞台が崩れ落ちたという話は聞かないし、ぐらついたところも見たことがない。
柱と貫の接合部分の内部は「継ぎ手」と呼ばれる技法で組み合わせ、わずかにできた隙間は楔で締めて固定されている。釘は一本も使われていない。コンクリートが当たり前の近代建築と比べるとどこか心細い印象だが、しなやかな木材だけで組み上げられたこの構造は、日々多くの参詣者で賑わうこの舞台を何百年間もしっかりと支えてきた。

小さな工夫が舞台を守る

強度の秘密はまだある。
むき出しの木材はなんといっても水に弱い。水分は湿気に変わり、いずれ木材を腐食させてしまう。柱や貫を壁で覆わない懸造りにおいては木材を雨から守ることが最重要課題なのだ。
地面から仰ぎ見る舞台には、先人が考え抜いた雨除けの工夫がいくつも施されている。
舞台の床にほんのわずかに付けられた傾斜は、舞台に雨が溜まらずに流れ落ちるためのもの。舞台そのものが屋根の役割を果たす優れたアイデアで、舞台上にいる参詣者の安全を確保しつつ、雨を残さず落とす絶妙なその角度はぜひ舞台の上からも感じてほしい。

貫に取り付けられた小さな傘は柱を雨から守り続けている。

また、よく見ると貫の上部に小さな傘のようなものがいくつも取り付けられていることに気づくはず。これは舞台上から落ちてきた雨をさらに除けるために設置された部材だ。
柱は大きいもので高さ10メートル、直径2メートルを超える。
容易に取り替えることができない柱や貫を守るための工夫がいくつも施されているからこそ、この舞台の今日がある。
残念ながらこの舞台を手掛けた大工さんの名は残されていないが、現代であればプリツカー賞(※2)だって夢ではないだろう。

次の400年のために

清水寺はその歴史のなかで幾度も火災に見舞われており、伽藍はそのつど再建されてきた。舞台も同様で現在のものは寛永10年(1633)に再建されたものだ。それから約400年間、腐食や虫食いで損傷した柱は傷んだ部分だけを切り取って新しい木材を継ぎ足す「根継ぎ」という作法で補修されてきた。各時代の大工さんたちは、まるでリレーのバトンを繋ぐようにこの舞台を大事に守ってきたのだ。

一木から像を彫る一木造に対し、より自由な造形を可能にする技法として平安時代に考案された。

しかし、いつか応急処置では間に合わない時がやってくる。すべての柱を取り替える改修は大規模なものとなるだろう。
欅材の耐久年数は、長く保って樹齢の倍程度だという。
現在使われている柱はいずれも樹齢400年程度のものだから、次の改修はこれから400年以内におこなわれることになる。
清水寺では将来の改修を見据え、すでに京都市内の寺有林で欅と桧の植林・育林がおこなわれている。もちろん山で働く職人さんの力を借りて。
清水の舞台裏は、人の手で守り続けられてきた。
その尽力の背景には、受け継ぐべき手仕事への誇りと、慈悲深い観音さんへの信心がある。
文字通り、縁の下の力持ちとなってこの舞台を支え続けている多くの職人さんたちの仕事を知ると、舞台上から見える景色もまた違うはずだ。