Vol.1 名勝「月の庭」をもっと楽しむ 成就院大特集

兄弟勤王僧の波乱の人生を見守ってきた大広間


連日大変な賑わいの清水寺も、成就院のあたりは静かなたたずまいを見せています


広間はかつて接見の間として使用されました。ここでどんな密談が交わされたのか、想像がたくましくなります。


縁側を半周すると月照、信海両上人の仏間へ。お姿を映した像にぜひお参りを。

今回は、毎年、春と秋に特別公開される成就院と庭園についてご紹介しましょう。
成就院は、寛永16年(1639)に、他の堂塔と同じく徳川家光によって再建されました。清水寺のお堂や仏像の建造、維持管理と、財務や寺領の管理を預かる役目を持った、現在でいうところの寺務所のような場所でした。

この成就院にゆかりのエピソードといえば、なんといっても月照・信海の両上人でしょう。
「よだん堂Vol.2」でもご紹介したように、両上人は、幕末に命がけで活動した兄弟の勤王僧です。
大阪の町医者の子として生まれ、叔父である成就院住職の蔵海上人の求めで、兄の宗久(のちの月照上人)が成就院にやってきたのは15歳、のちに弟の綱五郎(のちの信海上人)が迎えられたのはわずか12歳でした。

宗久は忍向と名乗り、叔父とともに、当時、経済的に困窮を極めていた清水寺の立て直しに尽力し、蔵海上人の後を継いで24代住職に就任。山内の改革を進めようとします。しかし20代前半の若い住職・月照上人の前に長老たちの築いた壁は厚く、改革はことごとく頓挫、成就院を去ることになります。
そのあとを継ぎ、25代住職となったのは信海上人。隠居の身となった兄・月照上人と力を合わせ、真言密教の子島流の復興と、折しも機運の高まっていた勤王活動に挺身します。

両上人の周囲には、左大臣近衛忠煕(ただひろ)、青蓮院門跡尊融法親王、薩摩の西郷隆盛など、尊王討幕派の立役者の名がずらり。成就院で密談が行われたという伝承も残り、院内の廊下が鴬張りになっていることも、当時は盗聴防止に役立ったかもしれないと言われています。

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