Vol.1 地主神社の神職に聞く 音羽山に残る古代信仰の謎

ともに歩み、歴史を紡ぐ。地主神社と清水寺のこれから


“何か感じる”という人や、神様がおられるという人も多いのだとか。親しみやすさと霊的な力が同居して、人を引き寄せる魅力となっているのかもしれません。


地主神社の境内は、古くは桜の名所とうたわれました。嵯峨天皇の「御車返しの桜」にちなんで植えられた「地主桜」の若木。一重と八重の花が混合する大変珍しい品種です。


清水寺の境内で、中川権宮司お気に入りのポイントは音羽の瀧近くの白木蓮の木。「春、桜の少し前に、あまり気付かれない場所だけれども、精いっぱいにきれいな花を咲かせます。見るたびに、仏様の白い花だなと思います。」

清水寺は「平成の大修理」で、2017年3月から本堂の修理に入りましたが、地主神社でもこの本堂の修復のあとに、お社の大規模な修復を計画されています。
「本堂と一緒に、寛永10(1633)年に建てられているので、修復にはしっかりと取り組みたいと考えています。また地震や大雨など自然災害も多発しているので、本堂裏の崖の部分も検証が必要です。」

そして、修復は新発見の機会です。中川さんによると、地主神社には、まだまだ興味深い言い伝えがあるのです。例えば、諸説あることで有名な「桓武天皇の御陵」の可能性があるとして、発掘しかけたものの日中戦争が始まり中止になったというお話。これには発掘の反対運動もあったのだとか。今から40年前の修理の際には、本殿の下に穴が掘られていたことが発見され、「当時の発掘作業のあとか、大昔の盗掘あとか、はたまた防空壕あとか」と、いろいろな憶測を呼びましたが検証はされておらず、詳細は謎のまま今に至っているのだそうです。今後、修復と一緒に調査が行われれば、新たな大発見があるかもしれません。

「神道は仏教と結びつき、系統立てられ、形式が生まれ、お祀りする建物の様式も出来上がりました。形を持たない古い信仰は、仏教と出会わなければ忘れられてしまったかもしれません。」

中川さんは地主神社と清水寺について、このようにおっしゃっています。そして、「日本人の信仰が凝縮したこの場所を、もっと多くの人に知ってほしい。」と。
清水寺も想いは同じです。今、この一つの場所に、神様と仏様がお住まいになり、多くの皆様が足を運んでくださる。そういう「祈りの場」があることに深く感謝をしています。
そして、今後、合同の祭礼や法要を行うなど、直接的なご縁をこれまで以上に深めて、「一つの祈りの場」としての姿を世に示し、ご先祖様から受け継いだ寛容の精神、世の無事や安寧を願う心を、世の中に伝え、広めていきたい。宗教的な歩みをともに、歴史を紡いでいくことを願っています。

地主神社の由来について、公式WEBサイトに詳しく紹介されています。
http://www.jishujinja.or.jp/

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